京都府宇治市の永代供養墓のある墓地

お経は誰が書いたものですか?

お寺によくお越しの方とのお話の中で、お経って誰が書いたものですかね?という質問がありました。

その方は、お釈迦様の教えであるということは分かった上で聞かれていました。

先に答えを言いますが、誰ということは一言では言えません。

本日は、お経ができた経緯を混ぜながらお話します。

 

お寺では本堂であったりお墓の前、またお参りの時に、お経を耳にされると思います。

お経は、お釈迦様が説かれた教えをまとめたものです。お釈迦さまは自らの教えを文字にはされませんでした。このことを、「不立文字」といいます。その教えを多くの弟子たちが、お釈迦様の言葉を唱え、その教えを広めました。それを後の人たちが、まとめたものがお経として現在にあります。

それは、インドから各国に広がりました。今、日本で読まれているお経は、中国で翻訳されたものがほとんどです。

お釈迦様の教えは古代インド・アーリア語に属するサンスクリット語で広まり、諸国でそれぞれがまとめられていきました。その中で、解釈・翻訳されていき、たくさんのお経ができていきました。

 

人物をあげるなら、般若心経を訳された玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)という和尚様がおられます。

この方は、629年に中国からインドへ陸路を使い向かわれました。その際、657部の経典や仏像などを持ち帰国されました。帰国後は、膨大な量の経典の翻訳などに余生の全て捧げられました。今日の日本にも伝わる600巻の「大般若経」の翻訳完成から100日後に寂を示されました。その「大般若経」の最も大事な部分を編纂されたのが「般若心経」です。

この中国からインドへの旅を「大唐西域記」として記され、それが基に有名な「西遊記」が描かれています。

般若心経をもとに、お経を訳された和尚様を紹介しましたが、お経は無数にあります。その数だけ携わった方がおられます。冒頭でも書きましたが、数あるお経に対して誰が書いたとは言えるものではありません。ただ、全てのお経は、お釈迦様の教えからというものは共通のものといえます。

今回、質問された方から、「般若心経」の意味も聞かれています。

時間がある時に、書けたらと思っています。